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公開文化講座

2018年3月17日(土)

「新説 不審菴と残月亭等の変遷」

中村 昌生 氏(京都工芸繊維大学 名誉教授)

少庵が現地に千家を再興して以来、江岑の代に残月亭の南に平三畳台目の不審菴の建つ姿が天明8年(1788)の大火まで続いた。
その後、啐啄斎は新しい稽古場として七畳の座敷を建てた。了々斎は残月亭・不審菴を含む再興計画をたてたが、実現することなく、紀州侯の御成を迎えた。
漸く残月亭と不審菴が再建されたのは、吸江斎の代、利休250年忌を迎えた天保10年(1839)であった。この時祖堂も出来、現在の路地の構成が生まれたのである。
利休の茶室の理想は、このような変遷にもかかわらず貫かれてきたのである。

中村 昌生 氏中村 昌生 氏
京都工芸繊維大学 名誉教授
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