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特別展

三千家のはじまり
 江岑宗左と千家茶道の確立」

2022年10月8日(土) ~ 12月18日(日)

表千家四代家元江岑宗左三百五十回忌にあたり、その遺徳を偲ぶ特別展が開催され、連日多くの皆様にご来館いただきました。
この特別展は、歴代冊子『江岑』(2016年刊行)に猶有斎宗匠がご執筆された「江岑宗左の生涯と茶の湯」の章立てをもとに展示が構成されました。

第1部 出自と家族
安土桃山時代にわび茶を大成した千利休の曾孫にあたる江岑宗左は、慶長18年(1613)、利休が没してから22年後に生まれました。父は元伯宗旦、母は真巌宗見。兄は閑翁宗拙と一翁宗守、弟に仙叟宗室、妹にくれがいます。

「三千家のはじまり 江岑宗左と千家茶道の確立」
江岑は、ながく男子に恵まれなかったため、くれが久田宗利に嫁いで生まれた源三郎(宗巴)が養子にむかえられ、5代随流斎宗佐となりました。その後、江岑の実子の左太郎(三浦宗巴)が生まれ、随流斎は左太郎を自分の後継者にすることを考えていましたが、左太郎は若くして没してしまいます。

第2部 紀州徳川家への仕官
九州唐津藩主の寺沢家、四国高松藩主の生駒家への仕官を経て、寛永19年(1642)、30歳の時、徳川御三家の一つである紀州徳川家の初代藩主、徳川頼宣公(徳川家康の十男)に仕官します。この仕官には、将軍の剣術師範をつとめた柳生但馬守宗矩、徳川家光の篤い信頼を得ていた沢庵宗彭らの力添えがありました。
江岑は和歌山城下の三木町に屋敷を与えられ、紀州徳川家の茶の湯にもたずさわり、家元がある京都、和歌山、江戸(殿様の参勤交代に随行)を往復しながら茶の湯活動が展開されます。

第3部 家督相続と三千家の成立
正保3年(1646)、34歳で千家の家督を相続し、「利休流」の茶の湯を継承する表千家不審菴の4代家元となります。
江岑に家督を譲った元伯宗旦は、千家の主屋の北側に隠居屋敷を建てましたが、それはのちに仙叟宗室に譲られて、裏千家今日庵の母体となりました。
江岑は大徳寺の清巌宗渭より「宗左」の名を授けられ、以後、表千家の歴代は宗左を襲名します。 また弟の仙叟宗室は裏千家今日庵、兄の一翁宗守は武者小路千家官休庵の基礎を築き、利休の道統を現在に伝える三千家が成立しました。

第4部 茶の湯活動
江岑は大名茶人の片桐石州をはじめ、紀州徳川家の家臣、後西天皇、公家の近衞信尋・尚嗣親子、大徳寺の和尚方、江戸の金座を取りしきった後藤少斎、そして千家の茶の湯に親しむ京都の町人ら、実に幅広い茶の湯の交流を持ちました。
また、多くの人たちの求めに応じて竹の花入や茶杓を作り、箱書や極などの書付もおこない、自作の道具に銘を付けた記録なども残されています。

第5部 茶書の執筆
初祖の利休、2代少庵、3代元伯宗旦は、茶の湯の教えをことばや書物(茶書)で残しませんでした。茶の湯は自らの眼で見て学ぶという姿勢が千家の茶のならいであったといいます。
しかし、江岑は千家に伝わる茶の湯の伝承を書きとめた聞書覚書などの茶書を多く残しました。それは千家の財産ともいうべき伝承を確かな形で後世の家元後嗣に伝えるためでした。そのなかには利休の伝承が多くをしめています。
また、江岑は茶書のなかで、茶の湯の理念をことばで表現しました。それはこんにちの茶の湯の教えとして大切にされています。

主な展示道具

主催 表千家北山会館、京都新聞
後援京都府、京都市、京都府教育委員会、京都市教育委員会、京都市内博物館施設連絡協議会、NHK京都放送局、京都国立博物館
協力文化庁 地域文化創生本部

特別座談会の映像上映

会期中、地階清友ホールにおいて、猶有斎お家元宗匠、左海大(ひろし)宗匠、熊倉功夫先生、生形貴重先生の出演による特別座談会の収録映像を上映いたしました。
江岑宗左の生涯をたどりながら、人となりと茶の湯、茶室、好み道具、美意識、理念などについて、時代背景もふまえ、貴重なお話をいただきました。

茶の湯文化にふれる市民講座


家元内弟子による特別展示解説

10月20日(木)には、午前と午後の2回、家元内弟子が地階清友ホールにおいてスライド映像を交えつつ、特別展の主題に関する講話をおこなわれました。道具にまつわる由緒、家元に伝わる茶書からうかがえる江岑宗左の茶風や家元の歴史などについての講話があり、その後、展示室にて解説がなされました。
家元内弟子による特別展示解説
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